IT社会

ITの進歩によって人間の精神活動で最も大きく変わったのは「考える」より「検索する」ようになったことだといわれています。似たようなもんだろうと思う人もいらっしゃるでしょうが、両者は違うものではないでしょうか。たとえば守備についていて、外野フライが飛んできたとします。ボールを注視して、スタートを切り、注視角を一定に保ちつつ、走る速度を調整する。普通はこのように視覚運動調節機能を使います。では、カーナビのようにナビを使って球を追うと仮定してみましょう。実際の球は見ないでナビの画面の指示に従うことになります。たぶん足がもつれて転ぶか、頭に球を当てられることになるでしょう。前者が考える、後者が検索するのたとえになります。あるいは自販機でコーヒーを買います。ありがとうございました。とマシーンの自動音声が流れます。字句どおり聞くだけですね。では人と対面している時はどうでしょうか? あいての話す字句を追うと同時に言外の意味を探ろうとします。話し手の表情、声音、立派なことをいってるけど本当はいいかげんな人のようだ、など無意識にたくさんの推論、先を読む力を使っています。

パスカル(1623~1662)が人間は考える葦である、と言いましたが、あれから300年以上が経ち、世界は激変しました。個人的には、人間は無意識の知性を使って考えることができる葦である、と書き直しておきたいと思います。論文のコピペ問題が議論されたように「検索」には安易さと100円ショップのような安っぽさが付随しています。いずれ転換期を迎えることを期待したいと思います。